活動ファンド | 助成認定制度 |
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申請時期 | 2016年 第4回 |
活動地域 | 海外 |
活動ジャンル | 美術 |
活動者名 | 日本洋画商協同組合 |
活動名 | 「日本近代洋画大展」 |
活動名(ふりがな) | にほんきんだいようがだいてん |
実施時期 | 2017年 1月 20日 ~ 2018年 3月 31日 |
会場 |
実施場所:国立台北教育大学北師美術館 所在地 :106台北市大安區和平東路二段134號 |
寄付金額 / 目標金額 |
6,500,000円 /
10,000,000円
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以下の3点の視点から日本近代洋画を紹介
1. 戦前の近代洋画において指導的な立場にいた、あるいは、個性的な画家たち
黒田清輝、藤島武二、岡田三郎助、和田英作、梅原龍三郎、安井曾太郎、萬鉄五郎、
藤田嗣治など
2. 1930年協会及び独立美術協会の画家たち
児島善三郎、里見勝蔵、福沢一郎、三岸好太郎、林武、清水登之、中川一政など
3. 台湾の美術教育に半生を捧げた石川欽一郎と日本の水彩画家
石川欽一郎、三宅克己、大下藤次郎、石井柏亭、吉田博、鹿子木猛郎など
作品総数:油彩画52点、水彩画35点、パレット6点
(作品借出美術館)
大原美術館、石橋財団ブリヂストン美術館、ひろしま美術館、新潟県立近代美術館、
三重県立美術館、東京藝術大学、福沢一郎記念美術財団、笠間日動美術館、
府中市美術館、郡山市立美術館
(出品作品)
藤島武二 「桃花裸婦」1902年頃、「日の出」1931年、「造花」1901年、
「ヨット」1908年、「屋島よりの遠望」1932年
岡田三郎助 「水辺の裸婦」1935年、「セーヌ河上流の景」1899年
梅原龍三郎 「座裸婦」1933年、「裸婦」1936年、「紫禁城」1942年、
「裸婦虎」1931年、「台湾風景」1933年、「富士山図」1956年
小出楢重 「地球儀のある静物」1925年
児島善三郎 「田植」1943年、「赤い背景」1928-1929年、
「花」1960年、「春遠からじ」1950年、「松図」1938年頃
海老原喜之助「群鳥(枯木)」1931年、「森と群鳥」1932年
黒田清輝 「針仕事」1890年、「厨房」1892年
清水登之 「チャイルド洋食店」1924年
和田英作 「少女新聞を読む」1897年、「思郷」1902年、「野遊」1925年
中川一政 「長崎天主堂」1957年、「瓶と果物のある静物」1923年頃
福沢一郎 「煽動者」1931年
ラファエル・コラン 「花月」1886年
久米桂一郎 「鴨川」1894年
林武 「梳る女」1949年、「裸婦」1935年、「三味線」1964年
坂本繁二郎 「帽子を持てる女」1923年
安井曽太郎 「孫」1950年、「実る柿」1937年、「立像」1952年、
「紅葉せる黄櫨」1935年
藤田嗣治 「インク壺の静物」1926年、「自画像」1910年、
「画家の上着を羽織る少女」1958年、
「ラ・シレーヌ(人魚)」1947年、
「パンとミルクを持った二人の子」1958年、
「春の二人の乙女」1954年
里見勝蔵 「女」1930年、
田辺至 「放牛」1908年、「裸婦」
萬鉄五郎 「裸婦」1918年頃
三岸好太郎 「海洋を渡る蝶」1934年、「旅愁」1934年
(関連企画:国際シンポジウム開催)
2017/10/7 第一部 国家体制と日本近代洋画のゆくえ
第二部 画会活動と「日本/東洋画」概念の成立
第三部 戦争と時局美術の視覚化
2017/10/8 第四部 プロレタリア美術と大衆文化
第五部 植民地と日本近代洋画における異文化的モダニティ
入場者数 20,204名
共催:国立台北教育大学北師美術館(会場のデザイン、設営、展示費用、図録製作、DM・
ポスターなど広報、監視員費用)
東京藝術大学 (出品作品の選定、出品交渉、集荷・返却立合い、出品作品の点検
作業、出品作品の展示・撤収時における指導・監督、出品作品の
管理・取り扱い等、図録用原稿の提供)
国際交流基金(本事業の実施・運営における側面支援、本事業に関する一部経費の
負担、広報協力)
協力(協賛):全日本空輸(株)
後援:公益財団法人 日本台湾交流協会