活動ファンド | -芸術・文化による災害復興支援ファンド- GBFund 芸術・文化による災害復興支援ファンド |
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申請時期 | 第2回 |
活動地域 | 宮城県 |
活動ジャンル | 演劇 |
活動者名 | 芝原弘 |
活動名 | コマイぬ「ラッツォクの灯」気仙沼公演 |
活動名(ふりがな) | こまいぬらっつぉくのひけせんぬまこうえん |
実施時期 | 2018年 7月 28日 ~ 2018年 7月 28日 |
会場 |
実施場所:K-port 所在地 :宮城県気仙沼市港町1-3 |
今回、50名程度の参加を想定しておりましたが、結果として73名ものお客様にご来場頂き、観劇して頂く事が出来ました。
僅かな縁から始まったこの企画でしたが、作品の力のおかげで、公演に至るまでに気仙沼の様々なメディアに取り上げていただけました。ラジオの生出演やケーブルテレビでの公演のCM、そして地元紙には公演当日の残席状況も含めて本番までに3回記事にして頂き、多くの市民に周知して頂く大きなきっかけとなりました。
会場のK-portは、過去にも色々なイベントを開催した実績はありましたが、70人越えのお客様を迎えるのは初めてだったとの事。また、本格的な演劇公演というのも初めてで、今まで使ったことのなかった小さな椅子なども倉庫から出して頂き、様々な面でご協力いただきながら、多くのお客様をお迎えして上演することが出来ました。
物語の舞台が気仙沼という事もあり、実際の土地の名前も幾つか出てきていたので、石巻で上演した時よりもお客様にとって景色が浮かびやすく、感情移入しやすい作品だったのではないかと思います。だからこそ、ご自身の体験と重なり、辛い体験を思い返された方もいるかもしれず、本番中にも早い段階ですすり泣きのような音が聞こえたり、舞台を直視できずに居られるのかなという方もいらっしゃいました。
途中退席という事も可能性として覚悟しておりましたが、最終的には途中で帰られる方はおらず、また終演後に少しのインターバルを挟んで熊谷先生とのトークショーが開催されたのですが、結局全員が残って下さり、トークショーの最後まで観覧いただきました。
終演後、なかなか鳴りやまなかった拍車には、あまり感じたことのない「ぶ厚さ」があり、客席はどちらかというとご年配の方が多かったのですが、どこからあんなぶ厚い拍手をしてくださる強さがあるのだろうと思うくらい、我々にとって体験のない拍手を頂戴しました。
なかなか直接お客様とゆっくり話をする機会がなかったのですが、後日直接、また気仙沼での上演を求めるメールが届いたり、気仙沼の友人たちが来年もまた観たい、来てほしい、とSNS上にて発信してくれてたことから、今回のこの気仙沼での公演は、誰かかしらの心の支え、明日をまた生きる糧となってくれたのでは、と思っております。
ー東日本大震災から7年が過ぎ、風化が危ぶまれる中で、東北各地から様々な形で被災地の現状を知ってもらう為の“発信”が続けられています。
しかし、7年という歳月の結果、「被災地の声」というものが届けられないだけではなく、被災地の中からも、声を上げる事に躊躇いを覚え始めているという現状を伺いました。被災地に故郷を持ち、表現者である我々がまずは改めて声をあげ、発信することで、7年経った被災地の現状や、住民の想いを代弁すると共に、被災者自らが、改めて声を上げ、発信する事に躊躇わない、そんな環境を創るきっかけとなれればと思っております。
【舞台「ラッツォクの灯」とは】
〈津波により両親と家を奪われ、妹の瑞希とともに仮設住宅で暮らしていた翔平。震災の影響で心が荒む翔平だったが、瑞希の提案で「ラッツォク」を焚くことになり、 あの日以降止まっていた“時”と向き合う。東北の港町に生きる人々の姿を通して紡がれる、3・11からの再生の物語〉
ー舞台「ラッツォクの灯」は、仙台市在住の熊谷達也氏の短編集『希望の海 仙河海叙景』(集英社)に収録されてる『ラッツォクの灯』、そして『永遠なる湊』が原作となっております。
熊谷氏は中学校教師として気仙沼市に在住経験があり、東日本大震災の後に、架空の都市・仙河海市を舞台に書き継いだ小説群・『仙河海シリーズ』を発表し、被災地を描く事で、被災地からの発信を続けております。
※ラッツォクとは…
お盆の時の迎え火と送り火に焚くオガラのことだ。この地域の方言なのだが、平安時代の蝋燭(ろうそく)の読みが「らっちょく」あるいは「らっそく」だったのが転訛(てんか)したらしい、という説があるようだ。(原作より引用)
ー私の故郷である石巻圏内(石巻市・東松島市・女川町)は、街そのものが消滅した地域が多かったからなのでしょうか、その後その街をどうするか、自治体と住民の話し合いが早々に解決し、比較的早くに復興への道標を示せたような気がします。賛否両論はもちろん沸き起こりましたが、それでも女川駅の駅前は新しい街として生まれ変わり多くの方に注目してもらえる街となり、野蒜(東松島市)は街を海から山に移し、昨年「街開き」が開催されました。最大の被害を受けた門脇地区(石巻市)はその土地一帯を公園として生まれ変わらせるべく、次々に土が盛られ整備されております。
石巻の街に於いては、「ハード面」の復興はどんどん進んでいる、これからは「ソフト面」「心」の復興の為に、演劇などの文化面に力を入れていくべきだと仰ってくださる方が増えてきており、感謝を感じる日々でした。
これらの情景を「当たり前」と思っていた私にとって、今回この気仙沼公演を企画するにあたって何度も気仙沼地区に足を運ぶにあたり、そこから見える風景というのは石巻圏内とは全く進む速度の違う「復興の景色」でした。まるで復興が足踏みのしているかのように、瓦礫が街の隅々に散見され、一番人の行き交うべきフェリー乗り場の正面はまだ空き地が広がり、復興商店街は閉鎖されても、変わりの商店街が出来たわけではない。街がその現状なので、当然ひび割れた道路も、そのままの場所が多く、歩道も舗装されず。
自治体と住民との話し合いもなかなかうまくいっていないと聞きました。
石巻から気仙沼へ向かうBRTの車内から見える風景も、海側は延々と防潮堤を作り続ける地区、賑わいは見せているものの、いつまでたっても仮設での営業を続けている商店街。そもそもそのBRTの駅すら仮設、という地区など、復興の遅れというものはとても感じます。
先日、陸前高田に行った知人からも、やはり同じように復興の遅れというものを感じているという話を聞きました。
同じ震災の被害を受けても、街や地域によって復興の速度は全然違います。
また、今回、気仙沼での上演あたり、「ハード面」の復興がままならない状況にも関わらず、「ソフト面」を持ち込もうとしていることを懸念してもおります。
しかし、いずれ「ソフト面」の復興を進めなければならない時が来た時に、次に気仙沼でお芝居を上演する志をもった方々にとって、ゼロから始めるのではなく、一つの前例となれればと考えております。
また、石巻に於いてもそうですが、「演劇をしたいが地元ではできないので大きな街に行く」という事が多々あります。私自身もその一人でした。
「街に演劇の場がないので、演劇を諦める」という若者もおります。
そんな今後の演劇を志す若者たちが、地元に残りながらでも演劇に携われる環境を、故郷に創る事ができればと思っています。
そして将来、地元生まれ地元育ちの演劇人が、故郷の為の作品を描き、亡き方々の想いや、失われた風景を回顧し、また街の未来を語れる作品を創り、多くの方々へ届けてくれることを願っております。
【コマイぬとは…】
黒色綺譚カナリア派(活動停止中)に所属する芝原弘による演劇ユニット。
芝原の故郷である宮城県石巻市に於いて演劇文化の常在を最大の目標とする。
近年は「レクイエムとして演劇」の創作にも注力し、東日本大震災の被災地内外で活動。
東京など被災地以外の土地では、被災地の事を思い出してもらうための表現・制作活動を行っている。
また、故郷である石巻などの被災地で公演を行う場合は、演劇を通して少しでも日常を取り戻してもらう為に、多くの市民を巻き込みながら創作活動を行っている。
※写真は2018年11月に上演された石巻公演の様子