2017年度は、開催期間を通じて台風、大雨となり、対応に苦慮した。それでも、多くの方にご協力、ご参加いただき、「三陸国際芸術祭」ならではの、郷土芸能の発信と、アジアと三陸の芸能の交流、地域の方々とともにまちをつくる試みなどを行なうことができた。
今年のメイン会場となった大船渡駅周辺地域。本格的なまちびらきが行なわれたとはいえ、なにも建っていないかさ上げ地もある。日々変わりゆくまちなかで、はるか昔から継承されてきた郷土芸能の演舞。芸術祭をきっかけに、今の三陸を見ていただくことができたなら、ひとつの地域貢献が成し遂げられたのではないかと思う。
2017年度は、開催期間を通じて台風、大雨となり、対応に苦慮した。それでも、多くの方にご協力、ご参加いただき、「三陸国際芸術祭」ならではの、郷土芸能の発信と、アジアと三陸の芸能の交流、地域の方々とともにまちをつくる試みなどを行なうことができた。 今年のメイン会場となった大船渡駅周辺地域。本格的なまちびらきが行なわれたとはいえ、なにも建っていないかさ上げ地もある。日々変わりゆくまちなかで、はるか昔から継承されてきた郷土芸能の演舞。芸術祭をきっかけに、今の三陸を見ていただくことができたなら、ひとつの地域貢献が成し遂げられたのではないかと思う。
これまで三陸国際芸術祭は、NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク(JCDN)の主催で行ってきました。しかし5年目を迎えるにあたって、未来に向けて、三陸の各自治体と共に歩んでいけるような実行委員会を組織したほうが良いのではという、アドバイスをいただき、実行委員会を形つくるために、北は八戸市から南は陸前高田市までの15市町村をスタッフと共に何度も回りました。結果7月に準備委員会の開催、11月5日に、無事に11市町村、岩手県広域振興局および民間6団体、計18団体による『三陸国際芸術推進委員会』が発足しました。委員長を三陸鉄道株式会社の中村社長に引き受けていただき、副委員長を、大船渡市長と宮古市長に担っていただくことになりました。
この推進委員会の発足により、三陸全域での、三陸国際芸術祭の実施が現実化することになりました。
今年度の開催地は、八戸市、階上市、久慈市、田野畑村、宮古市、大槌町、住田町、大船渡市、そして同時に開催されたアジアセンター主催の「三陸×アジア」にて気仙沼市、陸前高田市も加わり、三陸沿岸10市町村での開催となりました。
これまで三陸国際芸術祭は、夏から秋に野外を中心に開催してきましたが、今年度はじめて2月・3月という冬開催への挑戦となりました。当初は、寒くてどうなるだろうと心配していましたが、屋内で行われた公演や交流、体験は、外が寒いだけにより屋内で熱く、深いプログラムになったように思います。
今年度アジアからの芸能団体は、初来日のインドネシアの郷土芸能にあたる“ジャティラ”を2団体招聘しました。2団体とも、各地で大変評判がよく、かつ三陸各地の郷土芸能団体や子供たちととても良い交流の時間を持つことが出来ました。各地で、今度は自分たちがインドネシアに行って、芸能団体と交流したいという多くの声を聴きました。
各地での出来事は、書き出すときりのないほど多くのエピソードがあります。それだけ各地で濃い時間を生み出せたのだと思います。これらのことが、三陸の復興において、未来に向けてのひとつの大きなステップになることと信じております。
SOMPOアート・ファンドからの支援を受けて実現できている芸術祭です。ありがとうございます。関係者を代表して、心より御礼申し上げます。
令和元年8月
三陸国際芸術推進委員会事務局
NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク理事長
三陸国際芸術祭プロデューサー
佐東範一
栞プロジェクトの推定参加者数は15,000人に達し、ハイデルベルグで良い反響を得た。
活動をしてみて
●バリ、香港、沖縄など三陸だけではなく、各地のシシが集合。芸能を通したアジアと国内の繋がりを創ることはとても有意義だと思った。それはこれまで地域の郷土芸能だった故に、ほとんど外に出たことがなく、他の地域の芸能がどうなっているのかの情報交換の場がなかった。しかし三陸国際芸術祭によってであったことによって、知り合いになり、互いに情報交換が生まれ、そして同じシシでも各地各様に違う形式を持っていることに、実際に郷土芸能をやられている人たちが発見があったという。
この発展形として、今回、岩手県大槌町の『臼澤鹿子踊』とバリ島のバロンダンスが東京・六本木アートナイトにおいて共演・発表したことは、歴史的に大きなことだったと思う。
●全国には、まだまだ被災地に対して何かできないかと思っている方々が多くいる。郷土芸能に限らず、コンテンポラリーダンサーも同じ思いのものが多い。そういった表現者が被災地に足を運び、それぞれの表現方法をもって鎮魂の思いを伝えることができた。また、現地の方々との交流の機会にもなり、こういった人と人の繋がりが発展していくきっかけとなった。
例:郷土芸能とコンテンポラリーダンス(沖縄の再会、浦浜念仏剣舞が韓国に行きたいという思いが生まれる、など)
郷土芸能を良く知らなかった人はもちろんのこと、日常の当たり前のこととして活動していた芸能団体の方にも、あらためて郷土芸能の持つ意味を再確認する機会となった。
三陸国際芸術祭は、ある意味、文化芸術による復興、のひとつの大きな象徴となってきている。
●今回コミュニティダンスを2作品制作した。1作品は昨年のコミュニティダンスの演出家、小林あやが地元の一般の方々、障害のある子どもたち、中学生、高校生など、昨年から参加していた人たちと新たに参加した人たちが、ダンスを通して新たなコミュニティの形成に繋がっている。同時に、1年目のコミュニティダンスの演出を行ったマニシアは、赤ちゃんとお母さん、娘さんとお父さんの組み合わせで公募をし、仙台を含め、約25組50人の参加があった。これは継続していることによって、毎年楽しみにしている方々がしっかりと存在し、自分たちでダンスを創るグループを創ろうという動きになっている。
●一方、今回八戸での開催、そして大船渡のメインプログラムへ八戸と女川の芸能を招いたことにより、大船渡を軸に八戸から女川までネットワークが生まれ始めている。このことは三陸国際芸術祭としては大きなステップで、被災をした三陸の各地域をつなぐネットワークを形作っていきたいと考えている。同じように、韓国、インドネシアなど継続して招いていることにより、確実に芸能を行っている人たちの新しいコミュニケーションが生まれている。新たにフィリピン、香港など、アジアの芸能のネットワーク作りが始まっている。
●三陸、日本、アジアの郷土芸能団体とアーティストが、東日本大震災による甚大な被害を受けた三陸沿岸部に集い各々の芸を披露することで、自らの芸能や芸術が社会にとってどのような役割を担っているかを真摯に思索し、そのうえで社会が必要とし復興には何が有効であるかを共に考えることが、文化芸術による復興と、芸術文化を基にした新たな産業の創出の礎となることが期待できる。
●郷土芸能が新たな産業となる可能性。移住者など、その地域に新たに入ってきたものがコミュニティに入るためのきっかけとしての効果(気仙沼:もともとある祭りや芸能のコミュニティに入ることの敷居は高いが、新しく立ち上げる企画には参加しやすい)。
●身体表現によるルーツの類似性を知ることで、国籍を超えた人類の歴史を学び、表現方法の多様性を見出すことで、各々の思考的、技術的に水準向上を促進することができる。
●メインプログラムである盛町の“混沌商店街”では、芸能団体とコンテンポラリーダンスが、同じ会場で上演されたことにより、互いの作品を観る機会が生まれ、交流にとどまらず、即興のコラボレーションが自然に生まれるなど、これまでは起こりえなかった、コンテンポラリーダンスと郷土芸能の融合が生まれた。このことはコンテンポラリーダンスと郷土芸能の歴史の中で大きな出来事。お互いの類似性を知るきっかけとなった。
●本芸術祭を2020年まで継続して行い、様々な郷土芸能を日本全国、世界へと紹介すると共に、芸能を通して被災地間そしてアジアとのネットワークを培っていくことを目指したい。
●東京での実施による三陸の郷土芸能の発信。各地でのシンポジウム等への参加による全国への周知。三陸沿岸の小中学校へ、各地の教育委員会の協力による全校チラシ配布。共同通信による三陸国際芸術祭の記事(タイトル:転換への一歩、岩手県沿岸部の郷土芸能:外に開かれた新たな歴史)が全国(山形、愛媛、京都、岐阜など確認できただけでも10紙以上に掲載された。