「東京・春・音楽祭ー東京のオペラの森2018ー」は、東京文化会館にて行われる演奏会形式のオペラ上演を主軸に、室内楽、リサイタル、歌曲、タンゴ、子供向けワークショップも含めた様々なジャンルの公演を約1ヶ月間に亘って開催。今春は、11年に震災のためキャンセルになった《ローエングリン》待望の上演を軸として、恒例の「東京春祭チェンバー・オーケストラ」公演、毎年人気の高いミュージアム・コンサート、一般のお客様が指揮者に挑戦できる“Conduct Us in 上野公園”、上野内外での「桜の街の音楽会」(無料)等を開催。さらに、没後150年になる作曲家ロッシーニの楽曲を数多く取り上げ、同じく150年を迎えた明治維新に関する屋外での写真展示も行った。上野の地を活かし、クラシック音楽を中心に、多ジャンルとのコラボレーションも広がりを見せ、来春の15周年につながる結果を残した。なお、一部の公演の模様は、7月中旬より3か月間限定でネット配信が予定されている。
「大分アジア彫刻展」は、大分県豊後大野市出身の彫塑家 朝倉文夫を顕彰して大分県と豊後大野市が開催する、アジアの新進彫刻家の登竜門と位置づけられる国際公募展です。
ビエンナーレ(2年に1度)で開催を続け、今回で14回目を迎えました。アジア15カ国から318点の作品を応募いただき、平成30年9月29日から開催した本展は盛況のうちに会期を終えることができました。今回は、「第33回国民文化祭・おおいた2018」「第18回全国障害者芸術・文化祭」も行われ、例年以上に多くの方に鑑賞いただきました。会期中には、市内の小中学生を本展会場と朝倉文雄記念館に招待したり、東京の朝倉彫塑館と連携し、朝倉文夫氏の生前使用していたお茶道具等の展示を行い、幅広い世代に注目いただけたと思います。企業メセナ協議会様をはじめ、多くの方のご支援のもと、開催できましたことを、この場をお借りしまして厚く御礼申し上げます。
町村によって、時期を違えて避難指示解除が進んでおり、同時にみなし仮設住宅の供与も打ち切られるため、現在の避難生活を続け転居するのか、住んでいた町に戻るのか、決断しなければいけない。「原発事故以来、私たちは常に、選択、選択の連続でここまで来ている。故郷を捨てる、家を捨てる、など、決断しなければいけないことは、どれも簡単な問題ではなく、大きなストレスでもあり、そのことに、もう疲れてしまった人も多くいる。」とはある現地スタッフが話してくれた、お住まいのみなさんの代弁であった。
終の棲家と決めた方の多い災害公営住宅も、新しいコミュニティを作る過程で、様々な問題が表出している時期でもある。いずれも高齢化率の高いことを心配されている自治会長、管理人会長が多くいらっしゃることが、打合せで訪ねて分かってきた。
9月に訪ねたいわき湯本の公営住宅では、初めて3団地合同での開催となり、コンサート後には昼食会も開かれ、「近隣の公営住宅の住民さん同士が交流するきっかけを作ることができた」と喜んでいただくことができた。またいずれの会場でも、「普段のお茶っこには出てこない方が今日は来てくれている」と言う声が聞こえた。
言葉やメッセージではなく、音楽そのものによって人の心を慰め、励まし、時には涙を誘い、また同時に笑顔にする、プロフェッショナルだからこそ提供できる、音楽の力を改めて感じた。
富岡町生活支援センターいわき平交流サロンでは、恒例となっている富岡町民歌「富岡わがまち」をプロの伴奏で歌っていただいた。富岡町では毎日正午に町内の防災無線で流れるこの曲を、久しぶりに耳にしたという方も多かった。
訪問するボランティアは震災から5年が経って以降、激減したままという。ほぼ一年ごとの再会を果たしているいわき平交流サロン、四倉交流サロン、泉玉露交流サロンでは、「今年もまた来てくれてありがとうね」と声を掛けられることが増えた。音楽を聴いていただくだけではなく、演奏家自身による楽しいおしゃべりや楽器紹介、歌での参加、何より若手実力派の音楽家による演奏と再会など、短い時間ながらも心身ともにリフレッシュしていただくことを何よりの目的に、今後も活動を続けて行きたいと訪問の度に感じる。
「東京・春・音楽祭2019」は15年目の開催にあたり、N響によるワーグナー《さまよえるオランダ人》のほか、都響による《グレの歌》、読響が登場した15周年記念ガラコンサート等、大編成の公演を多く行った。また、次世代に向けた企画として、「子どものためのワーグナー」「イタリア・オペラ・アカデミー」といった、本場ドイツ、イタリアの一流アーティストを中心とした企画を始動させ、どちらも若い世代やその保護者からの反響を呼んだ。さらに、室内楽、リサイタル、歌曲、タンゴ、毎年人気の高いミュージアム・コンサート、一般のお客様が指揮者に挑戦できる“Conduct Us in 上野公園”、上野内外での「桜の街の音楽会」(無料)等も開催。恒例の公演・企画に加えて、新しい試みも目白押しとなり、節目の年であると共に、今後の音楽祭の方向性を印象付けた内容になったと思う。
活動をしてみて
■いわき「新春ほのぼのコンサート」ツアー
富岡町がいわき市内に構える常設の交流サロン3カ所(富岡町生活復興支援センターいわき平交流サロン・いわき四倉交流サロン・いわき泉玉露交流サロン)の他、富岡町社会福祉協議会いわき支所が開催するサロンに、ジャスミン・トリオによるコンサートをお届けした。出演はクラリネット菊池澄枝、フルート櫻井希、ピアノ鷲尾恵利子。いずれも仙台を拠点に東北各地で演奏・後進の指導に当たっているフリーランスの音楽家である。富岡町社協主催のサロンは、鹿島公民館を会場の行われた。平・四倉・泉玉露の交流サロンについては、2度目、3度目の訪問となり、平日にも関わらずいずれの会場もこれ以上椅子を並べられないほどの満席となった。震災から7年が過ぎ、訪れるボランティア団体も大分少なくなったなか、プロの音楽家によるコンサートが身近に聴けるというこの機会を、毎年心待ちにしてくださってる方が多いとスタッフの皆さんからも伺った。また、震災前の富岡町で毎日時報代わりに町内に流れてた町歌「富岡わが町」を一緒に歌った。サロンには、富岡町以外の双葉郡出身の方やいわき市内の方も参加されるが、この歌を一緒に歌う時間というのは、ひとりひとりの様々な思いや願いが感じられる時間だった。鹿島公民館での開催は初めてであり、みなし仮設にお住まいの方や、既にいわき市に移住された方がお越しいただいたようだった。広い会場の片隅での開催となり、参加者同士、またスタッフとも顔なじみと言った感じではなく緊張感のある始まりだったが、演奏が始まり音楽家のトークや楽器紹介が進むに連れ、それぞれくつろがれている様子が見て取れた。アマチュアによる演奏と、プロによる演奏では、観客の受け取る印象は全く異なる。美しい音色と旋律、調和のとれたアンサンブルが与えてくれる安心感と、個々がそれぞれに音楽から受け取るものと向き合う穏やかな時間は、不安のなくならない日常にあってはやはり特別なひとときである。またマイクなどを使わずに届く距離での演奏や、演奏者自身によるトークは笑いの連続でもあり、音楽家と聴衆が直接に心を通わせられる貴重な機会である。このツアーの会場調整の、まとめ役を買って出てくださったいわき平交流サロンリーダーのSさんは、コンサートの終わりに「今日は、心の栄養をいただきました。また明日からも、今日の余韻を胸に元気に過ごしましょう」と挨拶してくださり、今も避難が続く方々に、また故郷を離れざるを得なかった方々に、今、7年経ったからこそ、必要なものは何かを教えていただいた。
■いわき内郷・宮沢団地「春だっぺコンサート」、いわき内郷・砂子田団地「春らんらん♪行ってみっペコンサート」
宮沢団地はNPO法人みんぷく、砂子田団地はいわき市社会福祉協議会からの依頼で訪問した。出演は、仙台を拠点に全国で演奏活動を行うクラシックギター奏者、佐藤正隆と小関佳宏による二重奏。いずれの会場も初めての訪問であった。宮沢団地は浪江町の方、砂子田団地はいわき市内で被災された方が多いとのことで、それぞれの地域の方言で「行ってみようか」と思わせる親しみのあるコンサートタイトルを主催者に付けていただいた。宮沢団地では20名の参加があり集会所は満席となった。この二重奏ではいつもの光景だが、最前列は若いころギター少年であった男性達が陣取り、食入るように演奏家のテクニックに見入っていた。みんぷくスタッフと住民の皆さんとが既に顔なじみであり、その安心感のあるあたたかい雰囲気が既に出来ていた。ギター二人だけでの、マイクも使わない澄んだ音色での演奏、また、高いテクニックによる白熱した演奏に、若い方もお年を召した方も、すぐに集中した様子で聴き入ってくださった。終演後のお茶会では、やはり男性陣の楽器や演奏に関する質問が集中し、若いころを思い出したような皆さんの熱中ぶりに演奏家もみんぷくスタッフも驚いていた。砂子田団地は、世帯数が非常に多いためにこうした催しはほとんど行われていない状況だったが、チラシの配布や住民の方で視覚障害のある方を支援されてる方が、地域の視覚障がい者にも聴かせていただきたいと申し出があり、自治会長が是非にと返事をされたこともあり、盲導犬が3頭の他、白杖をついた方とボランティアの方が10名近く参加してくださった。年齢層も思いの外広く、開演後も椅子を足しながら対応し結果的には40名余りの方が参加された。自治会長も「どのくらい人が来てくれるか、予想が付かない」とのお話しだったが、多くの方が参加くださり、お互いの顔も見えて非常に良い機会だったと喜んでいただけた。社会福祉協議会のスタッフからも、「いわき市内には、まだこれから災害公営住宅に引っ越される方もおり、引っ越し先でもお互い顔の分からない状況のまま暮らしているところは多い。こうして、様々な世代が一同に楽しい時間を持てることは貴重な機会なので、またお願いしたい」と帰り際にお声掛けいただいた。岩手・宮城とは状況の全く異なる福島・いわき市内では、7年が経っても落ち着いた状況にある方ばかりではないことが今回分かり、日常から一時離れて、ご近所の方、同じ境遇の方達とほっとした時間を共有できる「復興コンサート」には、まだまだ役目があると感じた。また演奏家のお二人からも、こうして被災地の現在を知る機会、そして直接にその場で様々な反応を返してくださる皆さんとの時間は、毎回とても学びがあり心に残るものでもあり、引き続き協力させてほしいとの申し出を受けた。